本日、無職となりました。
23歳、本日ついに無職デビュー
こんにちは。リアムです。
僕は新卒で入社した会社を1年で退職しました。
そして、令和に元号が変わることが発表された本日より無職1日目となります。
なぜ僕は会社を辞めたのか。その理由は実に単純で、しんどかったからです。
大学を卒業しほかの友人達と同じようにあまり有名ではない中小企業へ入社しました。
入社から10か月後、なんか身体がおかしいと感じ初め気づけば精神科医師に「あーこれもうほぼ鬱病だね」と診断を受けそれでも会社に噛り付いていましたが、結局休職を経てもう無理だと思い一年で退職しました。
僕はブラック企業の定義は知りませんが、私の会社は決してブラック企業ではありませんでした。
年間休日120日以上、初任給22万円とまあ普通より少しいいくらいの待遇でした。そのうえで何がしんどくて辞めたのかを説明していきます。
んじゃあ何がしんどかったのか。
①入社3か月目にして、マレーシアでのマネジメントを担当。(結局しませんでした)
入社より3か月目、まだ右も左もわからず会社の電話が鳴るたびに震えていた頃です。
地元の関西勤務での採用だったのですが突然マレーシアでの勤務を命じられます。
しかも、マレーシアには日本人の駐在員はおらず私がマネジメントをするとのことでした。まだ仕事について何もわかっていないのに俺いっていいの?と非常に不安になりました。結局、転勤は断りこの時点で出世の道は閉ざされてしまいました。
②平均勤務年数10か月
何より辛かったのが尊敬する上司、大好きな先輩、仲が良い同期の退職でした。
入社前まではリサーチ不足で知らなかったのですが平均勤務年数が10か月と非常に短かったのです。
年いってないですからね、、、(笑) 200人規模の会社だったのですが、入社してから約半数の人が退職してしまい毎週のように退職者が出ておりました。
しかも、優秀で仕事のできる人がどんどんと退職していくのです。もう、この時点でメンタルの弱い僕は会社への不満が大きくなってしまい豆腐メンタルはぼこぼこでした。
③大阪~東京の往復
人数の少ない部署に所属していた僕は、部署からの退職者が出たため週に一度のペースで、大阪から東京へ出張しておりました。
最初は「ビジネスマンっぽくてかっこいいじゃん!」と友人にドヤ顔で自慢していました。
しかし、東京だけにとどまらず北陸、東北のお客様も担当することになり長距離移動の日々を行っておりました。
朝4時に起床し、6時の始発の新幹線にのり20時の新幹線にて大阪へ帰る。最初はよかったのですが、新幹線でも仕事に追われ電話応対などで移動中ほとんど席に着くことができないこともありました。
毎週2時間半×2の移動は貧弱な僕にとって地獄そのものでした。しかも、終電ギリギリで帰っても出張手当はおろか残業代もでませんでした。
④サービス残業の常態化
以前の会社では、みなし残業制度はなく残業はした分だけ付けられたのですが業績の悪化により突然の残業は社長まで電話をして許可を取ってから行うものとなりました。
しかし、その程度の残業なら明日やればいい、残業のないように仕事をしてくださいなど申請は拒否されしまいには誰も申請せずサービス残業を行うようになってしまっていました。
残業時間は毎月40時間ほどそこまで多くはなかったのですが、完全なただ働きとなってしまいなんじゃこれ状態でした。
⑤責任の所存
部署の上司の退職により、一つの事業を引き継ぎ担当することとなりました。若いうちから裁量のある仕事ができます!と書いてある求人はよく見かけますが、入社から半年で一つの事業を担当することになり、さらに教育してくれる上司もいなかったため「え?これなんか起こった時、誰が責任とるんだろ」状態が続いておりました。
幸い大きなミスは起こらず一度、取引先の社長にドラマみたいな謝罪に行くくらいで済みました。
⑥パワハラ
はい。これが一番僕の中で辛く平均勤務年数10か月もここから来てしまっております。僕に対してはあまりひどくなかったのですが、業績も上げており会社に貢献している上司がパワハラを受ける姿をみて、この会社で頑張ろうという気持ちが一切なくなりました。
まとめ
この他にも様々な理由はあるのですが、ここでは省略させていただきます。
これらにより、精神的、体力的に衰弱してしまった僕は、夜は寝れずに通勤の電車では吐き気に襲われる日々を行っておりました。
これやばいかもしれない、、と思い精神科にいくと「完全なうつ状態です。このままでは深刻な鬱病になりますよ。」と診断を受けました。
精神的な病気は、血液検査、MRIなどで調べることができないので僕の発言を基にそれに近い病名をいうような形になるようで簡単に鬱病と診断されてしまうのは知っていました。
とりあえず、一か月間休職して今後のことを考えなさいと医師に診断書をもらいます。しかし、僕はここで今思えば愚かな決断をしてしまいます。それは、いやいや俺は鬱病なんかじゃない。やらなきゃいけない仕事もあるし、急に休むことはできないと診断書を会社に提出せずに働き続けました。
そして、2週間後、いつもの電車の中で強烈な吐き気に襲われます。そして思わず電車を飛び出し駅のホームで嘔吐してしまいました。(駅員さんご迷惑おかけしてすいませんでした。)その日は、そのまま動悸が止まずに会社を休みました。
その後、診断書を提出し一か月間休職させてもらいました。
最初の二週間は、周りのみんなが歩いている社会人というルートから外れてしまった。自分はなんて弱いんだ。と家でパーカーのフードを被り一日中ベッドから出られない状態が続きました。
不思議なことに今まで猿のように溢れていた性欲もなくなっていました。これからの自分の人生が不安でろくに眠れず部屋の壁を見つめていると一日が終わっていました。
その後、医師と相談しやはり復職は避けることになり退職届を提出しました。まだ、次の宛も決まっていないのに退職した為、無職となってしまいました。
ここまで色々と書きましたが、ほとんどの人はこれ以上にしんどい思いしていると思います。本当に自分は甘いと思います。
いま冷静に思えば「もう少し頑張れなかったのか」、「本当に退職してよかったのか」など思う甘ちゃんです。休職期間が終わるころには体調も元に戻り、猿のような性欲も戻ってきました。
ただ、あのまま働いていたらメンタルの弱い僕はダメになっていたと思います。
じゃあ結局、辞めてよかったのか?辞めないほうがよかったのか?
それは今の僕にはまだわかりません。鬱病になるくらいなら会社を辞めたほうがましだ!と思っていた僕ですが無職ってすっごい不安ですね。正直(笑)
ほんの前までsyamuさんの動画を見て腹を抱えていた僕ですが今はもう全然笑えないです(笑)
僕の人生がどうなっていくかわかりませんがその時のリアルな気持ちを無修正で今後もお送りしていきたいと思います。
では、ここまで読んでくださった皆さんありがとうございます!